| 町花/イワツツジ | 町 旗 | 町 章 |
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低い山に分布する落葉低木。幹は2mから3mに達し、よく車輪状に分枝する。葉は枝の先に3輪生じ革質ではない。花は1月下旬から4月上旬に葉に先立って咲く。枝の先の混芽に1~3花を散状につける。花柄は6~10mm、色は紅紫色。 |
緑色は綾の大自然を、AYAは大字南俣、北俣、入野をYは南と北の綾川を表したもの。旗地はみどり色、三つの丸は黄色 (調和54年庁舎落成記念) |
綾の文字をまるき図案化したもの。大姶良万之助(北麓・1758年生)の文政5年(1822年)頃の作。
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※「イワツツジ」は学術名「ヒュウガミツバツツジ」や「コバノミツバツツジ」など数種類の「ミツバツツジ」の仲間を総称して呼んでいます。
| 綾 町 憲 章 |
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豊かな自然と伝統を生かし、みんなの英知と協力で未来にひらく町を目指すため、ここに綾町憲章を定めます。 |
1.自然生態系を生かし育てる町にしよう |
1.健康で豊かな活力ある町にしよう |
1.青少年に誇りと希望をいだかせる町にしよう |
1.生活文化に創意と工夫をこらす町にしよう |
1.思いやりとふれあいで明るい町にしよう |
町 民 像 |
豊かな心とたくましいからだをもつ町民 |
すぐれた知性を持ち創意工夫に富む町民 |
ねばり強い根性をもって仕事にとりくむ町民 |
本町の起源は古く、中央台地の尾立地区に縄文遺跡があることから、この時代に人が住んでいたと思われます。 延喜式(西暦967年律令)に日向16駅の1つ亜椰(綾)駅とあり、その跡があるので奈良時代には集落が形成されていました。鎌倉時代には伊東氏が支配し、綾城は伊東家48城の1つで薩摩の島津氏と戦う拠点でありました。 天正5年伊東氏は豊後に落ち、島津氏が明治維新まで支配しました。 明治22年に綾村になり、昭和7年に町制を施行して今日に至っています。
本町は、宮崎県のほぼ中央に位置し、宮崎市から西方約20km、大淀川の支流・本庄川をさかのぼったところにある中山間地域で、宮崎県のほぼ中央に位置し、東は国富町、南東は宮崎市高岡町、南西は野尻町、西は小林市須木村、北は西米良村に接しています。
総面積9,521haのうち約80%が森林で占められ、住宅及び農地等は町の東に広がる平野部に集中しています。
道路は町の中心部から放射状に伸びており、主要地方道宮崎・須木線、主要地方道都農・綾線、一般県道田の平・綾線、一般県道高岡・綾線等が、主要な幹線道路として近隣市町村と連絡する重要な役割を担っています。
地勢は、西部・北部・南西部ともに険しい九州中央山地に連なり、東部が開けて宮崎平野に続いています。九州中央山地に連なる綾北川・綾南川に囲まれた地域は、わが国有数の照葉樹林帯が広がる地域であり、昭和57年5月に九州中央山地国定公園に指定され、鳥獣や魚類の棲息・植物の生育地となっています。
気候は、南西日本のモンスーン気候帯に属し温暖多雨な地域です。地形の影響により山間部では寒暖の差がありますが、平野部は丘陵に囲まれた盆地で一年を通して温暖な気候です。
月別平均気温は、12月が7.7℃で最も低く、8月が28.9℃で最も高くなっています。
月別降水量は、梅雨期や台風期の降水量が多く6月の降水量は500㎜を超えています。また、11月~2月は降水量が少なく晴天に恵まれています。12月になると「霧島おろし」と呼ばれる大陸からの季節風が吹き、初霜が降りるのは12月上旬頃で3月下旬頃まで続きます。
降雪は、1月に1・2回降る程度で、積雪はほとんど見られません。