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綾の肖像プロジェクト(久木野々地区)
「綾の肖像プロジェクト」は、集落の記録・記憶を残しつないでいく取り組みです。
綾町には22の自治公民館(地区)があります。その中には、山間部の小規模集落がいくつか存在し、集落の皆さんは消滅の危機と向き合っています。
そこで、集落の各家庭で大切に保存されている、地域の風景や暮らしが分かる写真をデジタルデータ化するとともに、地域活動や暮らし・仕事・祭りなどの思い出、集落に対する思いなどを聞き取り、次世代につないでいこうと、綾町と宮崎大学の協働で令和2年11月に「綾の肖像プロジェクト」をスタートしました。
令和3年7月に収集し、聞き取り調査をした久木野々地区の写真20点を紹介します。
久木野々地区の写真
1960~70年代の人々の営み。縁側でひなたぼっこをしたり子守りをしたり。床下には、五右衛門風呂を焚くための薪や、畑に使う竹などが置いてあります。
戦後、国の緊急開拓事業法を受けて全国で開拓が行われました。久木野々には1946(昭和21)年に13戸が入植、苦労して開墾しました。1948年度に綾町では開拓農業協同組合が結成され、1971年3月に解散となりました。
1963年の嫁入りの様子。自宅で行われた結婚式には家族や親族が集まりお祝いをしました。町外から嫁いだ花嫁は、道が悪く山林ばかりの様子に「どこまで行ったら家が見えてくるんだろう」と思ったそうです。
1970年ごろに撮影された、久木野々地区の子どもの様子。農業の繁忙期にあたる6月には季節保育所が開設され、画用紙や折り紙などを持った保育士が町立保育所から派遣されていました。
地区の住民は毎年1月3日に釈迦岳登山を楽しんでいました。左は1966(昭和41)年の様子、右は1998年(平成10)年の様子です。子どもたちはおにぎりや卵焼きが詰められたお弁当に大喜びだったそうです。
1971年に撮影された写真。久木野々地区婦人部の皆さんと郷田實町長が宮崎観光ホテルに出かけ、洋食のテーブルマナー講習を受けた時の様子です。
1970年ごろの養蚕の様子。自宅近くの畑で栽培したクワの葉を与えて育てた「お蚕さま」。重労働だったため家族総出で作業をしていたといいます。
1980年代に撮影された写真。地区住民が力を合わせて道づくりをしている様子です。「道普請」といい、役場から資材の提供を受けて地区の皆さんが道路の補修や舗装をしていました。
養蚕が衰退した後、久木野々地区の多くの農家は、町が推進を始めた自然生態系農業に取り組みました。土がよく質のいい野菜がとれたといい、首都圏での販売会に参加したことも。千切り大根などの加工品も作られていました。
綾町では22地区それぞれで「公民館文化祭」が行われています。久木野々地区では現在も、野菜やちぎり絵作品の展示が行われているほか、おでんやうま煮、豚汁などのふるまいがあり、町外から160人以上もの人が文化祭に足を運んだこともありました。
美しい農村の原風景を残したいー。高齢化が進んだ現在も、年に2回、700本ほどの花の寄せ植え活動が行われています。料理のことやお気に入りの歌手の話など、おしゃべりに花が咲く楽しいひと時でもあります。