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綾の肖像プロジェクト(竹野地区)
「綾の肖像プロジェクト」は、集落の記録・記憶を残しつないでいく取り組みです。
綾町には22の自治公民館(地区)があります。その中には、山間部の小規模集落がいくつか存在し、集落の皆さんは消滅の危機と向き合っています。
そこで、集落の各家庭で大切に保存されている、地域の風景や暮らしが分かる写真をデジタルデータ化するとともに、地域活動や暮らし・仕事・祭りなどの思い出、集落に対する思いなどを聞き取り、次世代につないでいこうと、綾町と宮崎大学の協働で令和2年11月に「綾の肖像プロジェクト」をスタートしました。
令和3年11月に収集し、聞き取り調査をした竹野地区の写真を紹介します。
竹野地区の写真
1939年に製材所の前で撮影された1枚。林業が盛んだった綾町には多くの製材所がありました。竹野地区も住民の多くが林業に携わっていたのです。
1940年代に撮影されたもの。竹野地区の男性が集まり、伝統芸能「なぎなた踊り」の衣装を身にまとっています。牛若丸と弁慶に扮したこの踊りは、北麓地区に残っていますが、人口が少なくなった竹野地区では継承されていません。
竹野地区では男性住民のほとんどが林業に携わっていました。営林署の支部が竹野地区にあり、町外からも伐採や運搬作業に従事する人たちが通っていました。
耕運機に荷台を付けて移動している家族の写真。1970年ごろのものです。当時、竹野地区の人々の多くが自給自足の生活をしていたといいます。
ワラを円錐状に積んで乾燥させる「稲こづみ」。稲こづみは南九州での呼び名で、一般的には稲積(にお)と言われます。脱穀が済んだものは冬の間、牛の飼料や畑の敷きワラにしたり、わらじや縄を編んだりしました。
自動車を持っている人がまだ多くはなかった1960~1970年代、主な移動手段は徒歩で、単車(オートバイ)もよく使われていました。綾町から熊本県まで単車で移動する人もいたそうです。
桑園で談笑する竹野地区の住民。養蚕が盛んで自宅近くで蚕のえさとなるクワを育てている家庭が多かったといいます。養蚕が衰退すると、畜産や野菜の生産が主産業となりました。
野生のサルやシカ、イノシシが多い竹野地区。サルは人を見ると威嚇したり攻撃したりすることが多いですが、このサルは毛づくろいをするほど住民になついたそうです。「サルがタケノコを抱えて歩くのを見た時はびっくりした!」という思い出話も住民の皆さんから飛び出しました。
楽しげな敬老会の様子です。皆で「綾音頭」を踊ったりごちそうを食べたりして過ごす楽しい催し。ときには町外から出しものをしにきてくれたこともあったとか。
国の文化財に指定されている巨樹ホルトノキは樹齢350~400年と言われています。綾町内でも特に古い歴史を持つ竹野地区の象徴的な存在です。1996年、草払いのときに撮影された写真で、草払いの作業は大切な交流の場でもあったそうです。現在は、人口が少なくなったため草払いは行われなくなってしまいました。
畑で栽培していた落花生を女性たちが集まって収穫している様子(1996年撮影)。ほかにも、苗づくりや田植えはみんなで協力して取り組んでいました。綾町が大切にしている「結い(互助)」です。
2004年の茶摘みの風景です。竹野地区では、ほとんどの家で茶を育て自家製のお茶を飲んでいました。5月の連休ごろに茶摘みをし、釜で炒って茶葉にする作業を近所の人々と協力して行っていました。